1964年生まれの畦道は地味に東京オリンピック反対。

忘れたふり。

こんな話を読んだことがある。
筆者のお母さんは東京オリンピックの建設現場で働いていた。働いた人には特別に開会式のチケットを格安で売る、と耳にして、家族のために決して安くない値段の切符を何枚か手に入れた。開会式の日、家族は会場に入れなかった。そのチケットは偽物だった。お母さんは、騙されてしまった、ごめんなさいごめんなさいと謝った。大事なお金をこんなことに使ってしまった。ごめんなさい。
その話を読む前から、私はオリンピックが嫌いだった。大嫌いだった。胡散臭い、薄汚いと思っていた。
みんな、もう忘れたんだろうね。記録が出せなくなって自分の命を断ったマラソン選手がいたこと。もう走れませんと書き残してこの世を去った選手がいたことを。
1963年、黒部ダムが竣工した年。関西電力は誇らしげに当時の映像を流しているけれど、あの工事で一体何人が命を落としたのか。もう誰も覚えていないのだろうか。
日本は戦争に負けて、無数の人々を炭と灰と土にして、さらに戦後の復興と称してさらに大勢の人々を踏みにじってきた。名もない人々、とよくいうが、名のない人なんていない。みんな誰かの息子で、母親で、友達がいて恋人がいる。そんな普通に真面目に生きている人々を犠牲にして経済大国になった。
それが伝説なら、なるほど伝説なのだろう。血で汚れた伝説。アスリートファーストとカタカナ英語にすれば浄化されるとでも思っているのだろうか。

何者。

プールが浅いから記録が出ないという選手。浅いからどうした。プールがあるだけましだろう。レジェンドのために競技場建設は絶対に必要。そうだね、自分が建設するわけでもお金出すわけでもないからなんとでも言えるわね。
畦道の父は大学にはスポーツで行った。そもそも昭和十年生まれではスポーツができるというのが珍しい。父の子供時代はもちろんプールなんてなくて、川を堰きとめて作ったプールで泳いでいたから、ヒルに噛まれまくったそうな。大学ではレスリングもしていて、オリンピック強化選手と試合したら折り紙みたいに畳まれてしまったそうな。
今から川で泳げというのではない。でも、オリンピックするから新しく競技場作ってくれというのがそもそも浅ましい。安っぽい。みっともない。
競技場があるからスポーツするんじゃないだろう。泳ぐのが楽しいから、競争すると面白いから、みんなと一緒にわいわい合宿するのが好きだからスポーツするんだろう。スポーツする余裕があるから、ご飯食べるのに困らないからスポーツするんだろう。戦争していないから、銃を持って闘わなくていいからスポーツするんだろう。

平和だから。

畦道は子供の頃からいろいろ楽器を習ったりして、練習は好きじゃなかったけど演奏そのものは好きだった。合宿も楽しかった。いろんなところにみんなで行ったな。「せえの」で120人がいっせいに音を出す、あの時の高揚感は今でも覚えている。
そんな体験ができたのは、平和だったからだ。もちろん経済的に余裕があったからでもあるけど、健康な若者がスポーツや芸術に打ち込めるのは平和だからだ。
もともとオリンピックは平和の祭殿ではない。スポーツは見せ物だった。奴隷同士、あるいは動物と奴隷が殺し合う見せ物だった。だからわざわざ「近代」オリンピックと称される。
みんな、忘れてしまったんだろう。第二次大戦中にどこでオリンピックがあったか。冷戦中にどこがオリンピックの旗を掲げたか。世界中に喧嘩を売ったり大統領を吊し上げたりしている国がどのくらいオリンピックをやりたがったか。冬季オリンピックの会場だったところに、何本の十字架が立っているか。

いらないよ。

オリンピックがあれば仕事が増える。ふーん。英語の通訳の仕事が増える。ふーん。
そんな一時的な仕事、やっつけの仕事、増えたって仕方ないよ。そんなことより他にしなければならないことは山ほどある。子供をちゃんと産んで育てられない国で、見せかけだけのお祭りなんかしたってしょうがない。
オリンピックの競技は、一般の人にはほとんど関係がない。レスリングで日本の選手が勝てるのは、強いからじゃない、競技人口が少ないからだ。夏じゃないけど冬のオリンピックのフィギュアでメダルを取れるのは、ロシアの選手が辛いフィギュアなんてしなくなったからだ。
それをちゃんと認めて、生きたお金の使い方をしようよ。意味のあるお金の使い方をしようよ。
それでないと、これが最後のオリンピックになってしまうよ。