さーこのテーマをどうやってハケンと結びつけるのよ畦道。

読売新聞ふたたび。

10月5日水曜日、15面の記事です。論点スペシャル。
テーマは「恋をしない若者たち」。
女性は総合研究大学院大学教授の長谷川真理子氏、64歳。男性は追手門学院大学教授の金政祐司氏、43歳。
長谷川氏は、
SNSで恋愛が異質に
・失敗は許されないという社会風潮に押されて恋愛は手の届かないものになった
・恋愛をする人が多いほど社会も活気づく
そして金政氏は、
・リスクや面倒を避ける
・リスク回避のパターンと他にやりたいことの選択肢が増えた
・社会的な要請の低下
などが原因であると述べています。

昔はそんなに恋をしたのか。

面白いなあと思ったのが、二人に意見の一致が見えること。
長谷川氏は、恋愛というのは向かい合う一対一の関係で、面と向かって話をし、表情や抑揚、反応を伺い、気持ちを確かめた。「面倒くさいこと」ではあるが、こうした付き合いを積み重ねて情動のスイッチが入る、としています。
そして金政氏は、恋愛は、相手に会わせたり、妥協をしたり、互いの世界を浸食しあう「面倒な」関係、としています。
恋愛って、面倒なんですか。
畦道はこの二人のちょうど間の世代ですが、恋愛に「面倒くさい」はないです。だってさ、面倒くさいなら相手のこと好きじゃないんでしょ。夢中じゃないんでしょ。それってすでに終わってる状態というか、始まってないでしょ。
恋に落ちる、っていうでしょ。理屈じゃないんです、恋って。突然好きになっちゃうんです。その人のことばっかり考えてしまうんです。ちょっと笑いかけてもらえるだけで幸せになっちゃうんです。名前で呼んでもらえたりしたらもう、背中に羽が生えたよ飛んでいっちゃうよなんです。馬鹿みたいなんです。関西風に言えばアホみたいなんです。
かつてよく待ち合わせをした場所で、ふっと昔の自分が蘇ることがあります。地下街の入り口、大きな柱の反対側にお互いが立っていてしばらく気がつかなかったことがあった。少しずつ柱に沿って回って、そしたら待っていた顔があって。
畦道は花見が好きで、桜も好きだけど菊も好きで、ずらりと菊が展示されている公園に満ちている菊の香りと、しきつめられた細かい砂利の感触を、足の裏にふと思い出すことがあります。
告白をして好きな人に「ノー」って言われるのがリスク、って金政氏は言ってますが、「ノー」って言われても恋は続くんです。むしろその方がいい。いいよ、俺の事なんて好きでなくていい。君ほどの人が俺のことを好きになるはずがない。いいんだ、ずっと陰で君のことを想っている、ずっと君に憧れ続ける。そういう気持ちがある限り、恋は続くんです。
どっちにしてもすぐに他の人が好きになっちゃってその恋は思い出になるわけですが。
なので、畦道の「恋愛」定義で行くと、昔の人がみんな畦道のようにアホみたいな恋愛をしていたようには思えない。

ここではとりあえず。

とりあえず「面倒くさい」のが恋愛だとして。
長谷川氏は、恋愛をする人が多いほど社会は活気づくので、情動に欠けたままだと人はやる気を失い社会は衰退に向かうだろう、としています。
金政氏は、恋愛あっての結婚という幻想ができてしまったので生涯未婚率は下がらないだろう、としています。
畦道はね。若者はそういうのが嫌なんじゃないかな、と思っています。
若者は子供を産むために若いんじゃないんです。子供を作るため、税金を払うため、年金のため、福祉のために若いんじゃないんです。
交際相手がいる、なんていうのも恥ずかしい。だって、そんなこと口にしたら最後、さあ結婚しろ子供作れ家を買え税金払え借金しろ正規雇用になれ、なんですもの。

何者でもないからこそ。

畦道は三十過ぎてから気付いたんですが、なんで子供の頃はあんなにすぐ好きになっちゃってたんだろう、あ、それはきっと、相手が何者でもなかったからだ。ただの中学生、高校生だったからだ。
自分が高校生だったから、高校生と並んで歩きたかったんだ。セーラー服と学生服、大きな鞄を自転車の荷台に乗せて貰って歩いて帰りたかったんだ。
帰り道の農道の脇では真っ白の睡蓮が咲いて、柳がふわふわゆれていて。やぶイチゴの棘に気をつけながら、ゆっくり歩いて帰りたかったんだ。
畦道は非正規のハケンだけれど、何者かではある。
畦道にとって、恋愛はあの日の柳みたいに、あの日のコスモスみたいに、ふわふわと頼りなく、でも時々心の奥をちくりと甘く刺すもの。治らない傷跡みたいに、細く赤く光るもの。
社会の変化なんて、ましてやSNSなんて関係ない。私の中にだけにある、私だけのもの。