長いつきあい。

今週のお題「ゲーム大好き」

電気なし。

幼馴染みのMちゃんの家にはいろんなゲームがあって、ボートゲームもいっぱいあった。よく遊んだのは宝石泥棒ゲームだった。
プラスチックのトラックの荷台にトランクをはめ込めるようになっていて、それが駒だった。宝石泥棒に捕まらないようにトランクを積み込んで銀行まで無事運ぶ、というルーレットゲームだった。
ゲームが面白いというより、二人とも小さなトラックにトランクをぷちぷちはめるという作業が気に入っていて、Mちゃんの家に遊びに行くたびに青いトラック、赤いトラック、半透明のトラック、緑のトラックと並べて遊んだ。
私の妹はゲームをするには小さくて、Mちゃんの弟はあまりゲームは好きでなくて、Mちゃんはピアノを弾くけれど私は練習が嫌いで、だから一緒に遊ぶのはボードゲームかあやとり、折り紙なんかだった。

電気あり。

母の実家が三重県にあって、だから時々鈴鹿サーキットに遊びに行った。まだ遊園地が子供の遊び場だった時代で、そこで最初のビデオゲームに出会った。
一回五十円。両替機もあった。スタートボタンを押すと、むらのある画面の向こうから白黒の鮫がきぃきぃいいながら迫ってくる。それを銛で打つのだ。当たると鮫はちらちら点滅しつつ薄赤い血を吹き出しつつ身をくねらせて消えていく。
的がとても大きいので、いい加減に打っても大抵当たる。鮫の悲鳴が妙にリアルで、親戚の叔父さんに「都会の子はやっぱりうまいなあ」などと誉められながら、しばらく遊んでいた。

茶店

高校のH先輩が喫茶店から貰ってきたブロック崩しを一日中やっていた。一回百円。でも、お金を入れるところは開いているので、何回でも遊べる。
向かい合って対戦するタイプだった。持ち主のH先輩より、H先輩が好きだった私の友人より、私がつきあっていたN先輩より、もちろん誰より私が一番上手かった。
私はN先輩に振られ、友人も結婚して音沙汰なし、ゲームの持ち主だったH先輩は大学を中退したとかしないとか。

ゲームセンター。

給料という小金を手にして、土曜の昼下がりに時々通ったのがゲームセンターだった。かの有名なゼビウス。800円で4時間座っていたことがある。
でも実家を出て、アパート暮しになって自分で家事を回す方が面白くなって、家庭用ゲーム機のアタリを買って、すぐ壊れたのでファミコン買って、NECの88まで買って、その頃にはゲームセンターには全く行かなくなった。
それでも、友達と海水浴に行って喫茶店に入ったらゲーム機があって、すぐさまクリアとかしたけど、でも女子はあんまりゲームが好きじゃないのでそんなに誉めてもらえない。

バブル。

ファミコンは旧タイプとディスクシステム、新しい方も持ってる。私はシューティングとパズルが好き。テトリスとか。ソニーのゲームが好き。音楽がいいから。クレイマン・クレイマンとか、IQとか、アストロノーカとか。もちろんPSも持ってる。
でも、ゲームボーイくらいで終わったかな。年取って目が良くなくなったのと、テレビで音楽を聴くようになって、PSを繋がなくなって、DSのソフトもRPGが主流になって、あんまりしなくなったな。3Dは苦手だし。

Mac

Macに入ってるゲームもさめがめくらいしかしてないか。Webサイト作るのがゲーム感覚だもんな。ネットゲームはしない。RPGが好きじゃないもんで。シューティングは短距離で走り切って終わり、パズルも息詰めて集中して、ああ疲れた、楽しかった、終わり。パスワードメモしてまで続けようとは思わないなあ。
ケータイもスマホも持ってない。たぶん、PHSが存在する間はどっちも持たないと思う。

大人のもの。

遊園地は大人も楽しめるものでなければ繁昌しなくなった。ゲームも、次々に出るソフトやキャラクターものを手に入れるには、子供の小遣いでは追いつかなくなった。
大人が楽しむ花札を作っていた会社がテレビゲームを作るようになったっていうのは皮肉なのかね。ゲームは、子供のものではなくなってしまった。
別にそれが悲しいわけじゃない。昔ながらの子供の遊びなんていうのは、本当はない。子供は大人の真似事をしているだけ。隠れんぼだって鬼ごっこだって、大人の遊びの変型版。大人のスポーツや趣味の子供版。
だから、今の子供は自然の中での遊び方を知らない、なんていうのはもうやめようよ。ゲームを子供から取り上げたのは大人なんだから。大人の癖に子供のもので遊んでいるのは大人なんだから。