1月17日。

20年経ったね。

20年経ったので、畦道も50歳になりましたよ。復興住宅でなくたって高齢化はしてますよ。
神戸市の人口は部分的に減ってるけど、西宮なんかは増え過ぎて学校が手狭になってるとか。西宮えびすも、人が多過ぎるから行かなくなっちゃったもん。
神戸港の取引高も、韓国に取られたからでしょ。韓国は港の数が少ないから、国を上げていろいろ投入できるらしいよ。どっちにしても海運は空運に押されて、いずれ減っていく運命なんだったと思う。
まあ、悪いことばっかり数えるのも新聞の仕事なのかも知れないけど、震災前より良くなったこともいっぱいあるんじゃないのかな。
それに、軽々しく「風化」っていうけどさ。親しい人を亡くしたり家を失ったりした人にとったら、風化してくれるならしてくれた方がいい。すべてがなかったことになって、地震なんてなかったことになったらどんなにいいか。
私はあの時怪我もしなかったし家も無事だったけど、もしあれが10時間早く起きていたら、今ここにはいなかったと思う。あの瞬間は二度と思い出したくない。
教訓なんていらないよ。学習の題材になんてしなくていいよ。

5年くらいで。

街角に半旗が掲げられているのを見て、立ち止まって「どうしてかしら」って考えている人がいて。私も「何かあったっけ」って考えて、そしたら1月17日だったので、知らない人と顔を見合わせて、申し訳ないような情けないような妙な気分になった、っていう、それは震災から5年くらいしか経ってないころだった。
「震災前」っていうのを、つい「戦前」って言ってしまうのも私だけじゃないみたいだし、それなのに平成10年て西暦で何年だろう、って考えるときに平成7年が1995年って計算してるのも、私だけじゃないらしい。
復興には段階があって、1年目と5年目の復興は違うし、10年20年経つと違ってくる。20年も30年も同じことやってたんじゃ意味がない。
震災を知らない人が増えたから記憶が薄れるのなんて当たり前だし、むしろそんな大きな災害があったのにその時に産まれた赤ちゃんがすくすく育って成人した、っていうことが大事なんじゃないかな。

ニュースだからじゃないよ。

昨日か一昨日の新聞だったかな。「(なんか復興関連の)委員長が、地下鉄サリン事件の報道を見て、これで震災が全国ニュースでなくなった、と肩を落としていたのが印象的だった」って書いてあってさ。
全国ニュース規模だから頑張るんですか。
サリン事件の時、まだガスが通ってなくてお風呂屋さんに通ってた。テレビが被害者の住所や名前を流してた。それは震災で亡くなった人の数と同じくらいで、みんなそれを眺めながら異口同音に言ってたよ。
私達は人の悪意に晒されたんじゃない。自然災害に遭ったんだ。それに比べたら、通勤していただけで、地下鉄で働いていただけで、きっとみんな真面目な人たちで、それなのにあんな目に遭って、どれほどに無念だろう。私達はもう大丈夫、こうしてお風呂にも入れている。もうすぐガスも使えるようになる。家に帰れる人は帰ったし、実家のある人は戻っている。
そして、口にはしなかったけど、こう思っていた、きっと。
だから、マスコミはそちらを追えばいい。
東日本の地震の時、私はビルの28階でふらふらしていた。高層ビルはゆらゆら揺れた。
神戸でもたくさんの人が亡くなったけど、そこにいた。遺体はそこにあった。波にさらわれて見つかっていない人はまだ大勢いるという。そして神戸に原発はない。
復興の形はそれぞれに違う。福島の復興は、神戸とは違う。

でも日本なので。

ただひとつ言えるのは、日本人は大丈夫、っていうこと。パニックに強いし、モラルが高いし、勇敢だし真面目だし清潔だし。ぴっくりしちゃうくらいしっかりしてる。
日本は地理的に災害が多い。それなのにこんなに人口が増えて、世界で最も豊かな国になれたのは、みんな真面目に働いたから。安定しているから。賢くて強いから。
だから、偉そうにしたいだけの邪魔な年寄りなんて放っておこう。大丈夫、年寄りは丈夫だから。
若者は勉強しましょう。学生は勉強しましょう。ボランティアなんてしなくていいからな。日本には公務員がごろごろいるんだから、ボランティアはそいつらにさせておけばいい。
若者はちゃんとお金貰って働け。それが若者の義務です。